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2008年6月 1日 (日)

認めない、認めないぞぉ!

認めない、認めないぞぉ!

ハフマン島での紛争が終わったなんて、俺は認めない。認めないぞぉ!

だって、戦局図は、今もアップデートされているんだぜ!


001_2
サービス終了後、さっさと公式サイトを見事なまでに縮小してしまった運営チームも、ここは盲点でしたか。

てか、コミュニティサイトリンクだけでも1ヶ月くらい残しても良かったのでは…。

FMOを振り返る上で重要な情報であるバージョンアップ情報は、辛うじて残っているものの、デザインぶっ壊れです…。

もうちょっと、待ってくださいよ。
せめて、多くのプレイヤーの意見や最終イベの感想が集まるまでとか…。

余韻を楽しむ暇くらい…。

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ゲーム」カテゴリの記事

コメント

オレがFMOを始めたのが2005年の6月下旬。


元々、鉄騎大戦という色々な意味で伝説となっていた、マニアックなネトゲーのフレに誘われてのことだったが・・・

なんの手違いか、結局一緒にプレイすることなく、一人でハフマン島に乗り込むことになる。


知り合いはおらず、シリーズそのものもマトモにプレイしたことがなかったので、世界観や歴史も知らず、その時は鉄騎大戦と同時にやってたのもあり、うまくPVPまでこぎ着けなかった。


だが、親切なβからの先人による指導や、純粋にゲームとしての楽しさにのめり込み、やがて激戦区までたどり着いた。


たどり着いたものの、アサレベルが20にすら達してないオレは上手くBGに入り込めず、経験不足でMPやテイカーも出来ず、後衛など装備もなければ金もない上に、ジョブレベルはどれも一桁で使い物にならない。


もちろん純粋なミサイラーなど激戦区では需要がなかったので、それも×。


結果として、当時、強豪BGになんとか潜り込み、機体構成や戦術、小技などを教授してもらい。
敵からは、様々なシチュエーションによる対処方法を学び取り、色々なネタにも出くわした。


だが、それも一月ほどすると(当時はオーク連戦だったため)飽きがきたり、階級の低さによる資金繰りの厳しさもあったり、何よりも激戦区の空気の厳しさにストレスを感じるようになり、占領区08に基礎をやり直すために舞い戻ることになる。


勝手に続く(´Д`)

投稿: subaru | 2008年6月 1日 (日) 23時22分

よ、お師匠様。待ってました! 続き、期待してますよ!

投稿: Massaa.Bradley | 2008年6月 1日 (日) 23時26分

携帯の電池が切れそうだったので、途中で中断したが、続きを勝手に書かせてもらおう。


占領区08に戻り、激戦区と同じように野良として活動していたが、激戦区と違いメカよりもアサルトメインで活動する事になった。

理由としては、基礎の修行のためと、突BGが多く、アサ募集がもっとも多かったためである。


08の雰囲気も気に入り、様々なVer.UPが繰り返される中で、自分の道を見つけることになる。

Ver,UPによるジャマボディの積載量の増加。

これによる、ジャマーボディの速度と、耐性の強化されたメカが出来るのではないかという構想である。


発想そのものはすぐに思い浮かんだのだが、うまく一つの形にならない。

だがVer.upされて、軽量武器の強化、軽アサ腕の追加という要素で問題が解決。

機体の構成そのものは1年近く固まらなかったものの、ジャマ胴メカが完成した。

が、完全に初の試みだったために、どこのBGに入ってもネタ扱いされ、機体の見た目やHPからRDメカと勘違いされることが多かった。

それどころか、酷いときなどは普通の4脚メカを強要されたこともある。(まぁ、ある意味あたりまえのことだったが)


だが、機体の性能を理解してくれるBGや、フレなども出来てきて、08に少しずつジャマ胴メカが普及していった。

ちなみに、ジャマ胴メカの運用方法と目的を書いておくと・・・

基本は衝撃耐性での物陰に隠れてのMG、RF回避。 
50kmの速度を生かしての、前衛の追従、前衛の救援、敵メカへの突撃、軽武器による敵への粘着撃破、CMカット等。

高い耐性を生かしての、敵SGアサを引きつけての囮、見方機の盾、敵メカまでの強行突破、そのまま相互妨害して撃破など。

RDメカと違い、普通のメカと同じ重量のBPを積めるため、回復量も高かった


あとは2番目にアサジョブを設定することによる、モードシフト後の高速旋回性能。
アサジョブに変わった後は、アサルトよりも旋回性能が高くなるため、サテライトで勝てるようにまでなる。シフトしても強いままと言うわけだ。

機体性能こそ高いバランスが保たれてたが、余裕のない機体構成なため、ピーキー過ぎて使い手を選ぶことになってしまった。
(当時のフレいわく「悪魔じみた性能」だったらしいが)

とりあえず、続く・・・

投稿: subaru | 2008年6月 2日 (月) 00時28分

私が始めたのは正式サービス始まって少し下くらいからだったでしょうか。
その頃は統制区に新人が溢れ、FMO全体に活気がありました。
その頃の私はスナイパーに憧れ必死にレベルを上げていましたが、初めてバズーカを使ったときの使えなさに絶望したのはいい思い出です(レティクル閉じねーw、ってね)w
その後なんとか激戦区に行けるPL20に達したのを機に固定のBGに属することを考え始めました。
その当時の私は対人戦を怖がっていたチキンさんでしたから、対人戦への一歩を踏み出す勇気を手に入れるために固定の仲間がほしかったわけですw
そんなわたしを拾ってくれたのが今はなきスモーカー隊でした。
本当にいい人達ばかりだったのですが、入隊から暫くしてモンスターハンター2が発売され、そちらに移住する多くのハフマン駐留兵士に紛れてわたしも移住しました。
そしてMH2が1段落して10ヶ月後に戻ってきてみたのですが、あまりの変わりように軽いショックを受けました。
移住前には最強の固定BGと謳われていたOCU強豪BG「桜花」がもう過去の存在になっていたことに始まり(一度だけ対戦したが、マジで強かった記憶しかないw)、10ヶ月前に存在していた強豪BGの大半が解散若しくは規模の縮小をしていたこと、閑散とし新人の姿がまるで見当たらない統制区、解散していたスモーカー。
それでもその時はまだ「FMOの最後を見届けるまでなんとか続けよう」と考えていたのが懐かしい( ゚ω゚ )
そんなこんなでその後2つほど固定BGに入ったのですが、まさか人間関係の問題でFMOを去ることになるとは思いませんでしたw(私も「あの時」広報氏と共にFMOを去っていればこんな苦い思いはしなくてすんだのかもしれませんね・・・・)
まぁそれでも色々な「教訓」を教えてくれた某BGにはある意味感謝してますよ。
FMOに未練はないか、と問われれば「ある」と迷わず答える自信はありますが、それでももう私には新天地(MHF)があるのでFMOに残り最後まで戦った人たちほどではありません。
もしもFMO2が開発されたなら、またFMファン達と肩を並べてみたいものですね。
本当に色々ありましたが、それが嘘偽りのない正直な気持ちです。
では、縁があればまたどこかでお会いしましょう。

投稿: 影狼 | 2008年6月 2日 (月) 00時33分

続き(ちなみに、当時はSQなかったなぁ)

結果、この機体の役割は、回復、囮、盾、前衛も兼ねた攻撃役、時にはBGの指揮官役もこなしていた。


極端に言えば、重SGスイッチに囲まれた状態で、タゲ指示を出しながら味方を回復して、そのタゲを自分で撃破するなど。
メカとしてはあり得ないことを出来うる機体だった。

特に、この当時はPS2しかいなかったのでSGメインのアサが多く、MPのDEF×もさほどかからなかったため、非常に有利に戦えた。

PC組が参入してエイムが厳しくなってからも、この機体を使うのはやめなかった。

いくらエイムがよかろうと、正面にしか撃てないことには変わりはなく、敵の視界や意識の死角を取るように動き、のらりくらりと立ち回った。

そしてこの機体を使い色々とやらかした。


p5の新人BGに乱入してダルマにしてから全滅させたり
たった3人でp10を壊滅させたり
全滅した味方の援軍で入って敵を壊滅させたり
味方アサの獲物を奪い取ったり
ソロで20分近くp10と戦い続けたリなんかもした。


そして時折、激戦区に舞い戻り、フェイズせいが導入された戦いにも身を投じた。


そして、その年の冬。 イシュターレイアというSQに参加した。

入った理由は、今ではよく覚えていないが、セットアップの知識を買われて、整備班長という役割を受けた。


爆突BGという、昔ながらの戦法を掲げたSQだったが、活動は長く続かず、勝率も思うように上がらないまま、自然消滅に近い形で春には消えてしまった・・・


それからまた半年ほど、08と激戦区を野良として行ったりきたりの生活が続いた。

この間は、08の戦闘のほうが多く、ソロ狩りを狙った奴らを逆に乱入して、返り討ちにする活動が多かった。


そして2年目の秋、ワンダーパペットというSQに出会う。


08で主に活動してるSQだったが、昔は激戦区で活動していたらしい。

ここのリーダーとやたらと気があったため、入隊することにした。

そして出来上がったのが、SQカラーの赤を利用した真っ赤な、速くて突撃するメカである。

この頃、Ver.UPしなくなって1年がたとうとしており、どこも機体構成が変わらなくなってきた頃で、その中ではジャマ胴の赤いメカは異彩を放ったことだろう。


逆に、敵側にもジャマ胴メカが認知され始めて、真似をした機体が増えてくるようになった。


また続く。

投稿: subaru | 2008年6月 2日 (月) 01時03分

また続き


ワンダーパペットに入隊しすっかり馴染んだ、冬のこと。

リーダーが亡命すると言い出しやがった。

オレはこっちにフレや知り合いが多くいたので残ることにした。


そしてイヤでもまた野良生活に戻ることになる。


だが、野良生活はあきていたので、すぐに他のSQに入ることにした。

SENNJUである。

メカの腕を買われてこのSQに入り、新人の特訓などの活動をしていた。

(この間、別のSQにも誘われもう一つ所属していた)

そして一ヶ月が経ち、ワンダーパペットが帰ってきたと思ったら。

「また亡命するから一緒に行こう」 などと言い出した。

他の二つのSQも亡命する流れになっていたので、結局亡命してしまったが、そのまま1年以上USNに居続けることになろうとは思いもしなかった・・・

そして春になり
亡命した後3つのSQに所属していたわけだが、ワンダーパペットはリーダーの都合で半ば活動休止、他の二つはSQそのものが解散してしまった。

そして慣れないUSNの土地でまた野良として活動する羽目になる・・・


夏がきた頃、すっかりUSNの野良生活にも慣れてきて、ちょくちょくリーダーも戻ってくるようになった頃。

FMOしましょ、というSQを見つける。

活動内容を某巨大掲示板やブログで見たところ、興味がでてきたので暇なときは協力してみることにした。

まだ続く・・・

投稿: subaru | 2008年6月 2日 (月) 01時20分

まだ続いてる

どうも某掲示板で暴れ回った後、SQを立ち上げて激戦区でのPvPをもっと気軽にやろう、という壮大なんだかよく分からない活動内容らしい。


この頃はすっかり前線が過疎化しており、08ばかりに人が集中するようになっており、その間を取るように激戦区のTC30のマップでの活動を目標としていたようだ。


だが、ここに問題があった。


肝心の当人がPvPのてんで素人だったのだ。


とにかくメインはメカをやってるらしいので、自分が身につけてきたメカの技術や知識、BGリーダーの指揮等をたたき込み、活動を手助けすることにした。


そして秋がきて、活動の甲斐あってフリーダムのS24はだんだんと賑わうようになってきた。


だが、それもつかの間、しましょのリーダーの都合で活動が一時休止状態になる。

それに伴い、S24のPvPも廃れていってしまった・・・

ワンダーパペットの方もリーダーの都合で活動したりしなかったりで、結局野良みたいな状態だったのだが、これはこれで慣れたものであった。


こうして野良を続けてる間にも、USNの各所にフレや知り合いが増え、行きつけのBGが増えていく中、この冬活動を再開したFMOしましょが亡命することになった。


そしてUSNとOCUとで密通をしながら、一月後にしましょがUSNに戻ってきた。


春がきたのも束の間、ワンダーパペットのリーダーが
「最後はやっぱりOCUに帰る」と言いだし、急遽OCUに戻ることになった。

このときは本当に急だったため、挨拶せずに亡命する羽目になってしまった。


そして5月、最後の戦いが始まった・・・

投稿: subaru | 2008年6月 2日 (月) 01時43分

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